◆2023年8月30日(水)江別は晴れ
(読売新聞オンライン8・28版 より引用)
◆プーチン悪・ゼレンスキー善という構図ではない?
私は、プーチンは悪でゼレンスキーは善と単純に言いきれるものではないのではないかと思っている。
勿論プーチンは掛け値なしの悪だ。彼を擁護する言葉は一つもない。でも、だからと言って、それと対立するゼレンスキーが自動的に善かというと、私は違うと思うのだ。
仮に、ウクライナがこの戦争に勝ったとしよう。ウクライナは何を得る事ができるのだろう?勝ったとしても、新しい領土が得られるわけでは無い、単に侵入してきた敵を追っ払っただけだ。そう、勝ったとしてもゼロ・・・と言える。(勿論、戦勝国として敗戦国ロシアに賠償金を請求することは可能かもしれない。しかし、あのロシアがすんなり支払いに応じるとも、とても思えないのだ)
このこと、つまり、ウクライナは戦争に勝っても得るものは「国民の熱狂と高揚感」位しかないこと、に、余りにも気が付いていない人が多いのではないかと思う。そして、この「勝った!」という「国民の熱狂と高揚感」は時の経過とともに必ず冷める(覚める・かな?)時が来る。
熱狂が去ったウクライナの国民に何が残るのか・・・それは、大黒柱を失った数多くの家庭と、荒廃し焦土となった国土・・・しかないのだ。
仮に戦争に勝てたとしても、多くの兵士が亡くなり(その兵士たちは国を支える経済戦士・働き手でもあったのだ)国土が荒れ果てて・・・というマイナスしか残らない地点からのリスタート。そう、ウクライナの国民の方々は、撒けても地獄なのだが、勝っても天国ではなく地獄が待っているということ。つまり、「勝っても負けても地獄しか待っていない」という事なのだ。
で、あれば、ゼレンスキーとウクライナの国民はどうすべきか、道は一つしかないと私は思っているのだけれども。
一日でも、一時間でも、一刻でも早く、「停戦」し、ロシアと和平を結ぶべきなのだ。まずは停戦、それしかない。停戦さえすれば今以上の死者も、国土の破壊も止まる。それが出来ないゼレンスキーは、善などではなく悪でしかないのではないか・・・
私はそう思っていた、しかし・・・
◆それでも、ウクライナには選択の余地は無かった・・・
しかし、それ(とにかく一刻も早く、まず停戦する)が実現したとしても、ウクライナに平和が訪れることは、どうやら無いようなのだ・・・
(この項・続く・・・)
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