同窓会、同じ出身校・・・という絆

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kizuna

きずな【絆】人と人との間に生じる連帯感。一体感。愛着
(ウィクショナリー より)

◆高校の同窓会

私の出身高校は「市立高校」。北海道の高等学校は、そのほとんどが道立(県立)か私立。札幌市立というのは非常に珍しい。当時は4校しか無かったはず。

やや実験的な性格を持ち、今は、これまた非常に珍しく「中高一貫校」に変身したようだ。私が在学している頃は、単なる高等学校だったのだけれどね。

高校生なのに、大学の様に私服というちょっと異例で、そして開放的な校風に、文武両道。そこはかとない、ちょっぴりエリート感をくすぐってくれる・・・そんな、ちょっとユニークな高校ではあった。

卒業してから43年!

昨年も企画されたので、1年ぶりと40年ぶりに会う顔が混じる。40年ぶりに会えた面々は、学校の校長先生もいれば、企業の社長さん、公務員、営業マン、年金受給者、そして、自由業?と、まあ、多士済々。

笑顔が素敵であこがれていた女子、ひそかに想いを寄せていた男子・・・

同窓会あるあるの再会があり、予定されていた時間はあっという間に。気付けば二次会も日付が変わっても終わらなかった。

私の同級生は何と450人!ひとクラス45人が10クラスもあった。(今の少子化時代とは隔世の感がある・・・)クラス替え(懐かしい言葉だ)で3学年全て全員入れ替わったとしても135人しか出会えない。

つまり、同級生450人のうち、見知った同級生は135人と3人に一人の割合・・・3人のうち2人は「知らない・喋ったことも、顔も名前もよく覚えていない」人々となるわけだ・・・

それでも集まったのは38名!同級生の1/10に近い人達が集まった勘定になる。

・知らない人ばかりで参加をためらった・・・
・私の事を知らない人が多いと思いますが・・・

第一声はそういう声が多かった。なのに、なぜか、

「楽しかった!話を始めると、一瞬で高校生に戻れた」

という声がほとんどで、帰りも名残惜しく、いつまでも会場を去りがたい空気が印象的だった。

◆気が置けない「同級生」

当然ながら、皆、同い年である。

職場で、家庭で、それぞれ義務と責任とにがんじがらめに縛れているものが、「同級生」というカテゴリーで横一線。

何のしがらみも無く、そこには「同じ学校を卒業した」というアイデンティティだけを共有する時間と空間。全員が、一気に40年前にタイムスリップし、あの時の空気や風を思い起こし、共有する。

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「気が置けない」は、本来「相手に気配りや遠慮をしなくてよいこと」という意味です。遠慮したり気をつかったりする必要がなく、心から打ち解けることができることを意味します。

「気が置けない」は、非常に親しい友人に対して使われることの多い慣用句です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ Google AIより

という事だね。

相手に気配りや遠慮をしなくてよい・・・・これだ。

私たちは毎日、誰かに気配りをし、遠慮をして生きている。それが社会というものでもあるからだ。「同じ高校を卒業した仲間」・「同級生」という「絆」が、気配りや・遠慮や・その他もろもろの「しがらみ」を一気に取っ払ってくれる、だから気が置けなくて、楽しい・・・という事なのだろう。

お互い、見知った者同士、親しい者同士では無くても、「K高校」という「パトリ」(フランス語でふるさと・の意)を共有できることで、そこに、それだけで「親近感」を寄せることが出来る。

同窓生というのは、同じふるさと(パトリ)を共有する事で絆(人と人との間に生じる連帯感。一体感。愛着)を共有し合える仲間という事なのだな。

時計はとうに、日付が変わるほど進んでいたけれど、一年後に再開することを期して、お開きとなった。

皆の笑顔がとても印象的で、写真をみても、誰もが笑っていた。

パトリと絆と言う言葉が、妙にしっくりくる時間だったな。