街とその不確かな壁
新潮社 2970円
◆村上春樹老いたり?
一読後、一番最初に思ったのがこの一言である。
村上春樹・・・老いたな・・・
もともと一度発表した作品を自分でカバー、リメイクした作品とわざわざ「あとがき」で述べている。ただ、「書き直して、これか・・・」というのが正直な感想。
もともと無理があるような気がして仕方がない。
まず村上は年齢は70台である。70台の男が「17歳の時の初恋」にずっと拘泥し、いまでも「初恋の君」に思いを寄せているのではないだろうかと思えて仕方がない。物語の中では50台の主人公にその役(「17歳の初恋の女性」に思いを寄せる)事を託しているのだが、それにしても無理があるだろう。
村上は実像と虚像ということで自分の実体と影を用いている。実体は50だけれども、影は17の時の少女と邂逅を果たしている。
しかし、実像と虚像の定義を探して面白い表現に出くわした。
空間情報クラブというwebサイトだ。興味のある方は是非参照してみて欲しい。ここでは、虚像の事を、「物理的に存在しない世界/虚像・心象・仮想」と定義している。さらに、虚像とは、「憧れが作り出す心象空間」とも定義してくれている。
「憧れが作り出す心象空間」これはまさに村上が言う「不確かな壁に隔てられた世界」そのものではないだろうか。村上が50の自分を投影して17歳の初恋の君と邂逅した世界・・・それが、
憧れが作り出す心象空間
そのものではないかと、私には思えるのだ。
暴論を承知であえて言おう、この作品は「村上自身の10代の頃の「夏休みの絵日記」をそのまま小説化したもの」であると。
古い昔の夏休みの絵日記、そこに描かれる初恋の君とのきらめくような時間・・・それが、憧れが作り出す心象空間であり、実像と虚像というわけだ。
夏休みの絵日記なので、感情移入も、私自身がその舞台(夏休みの絵日記)に入り込むことも出来なかった。
すくなくとも、未だ愛読している村上の作品群の中でも、例えば羊、例えばダンス・・・前者を読むと、私はいつの間にか札幌のいるかホテルに泊まり、美深/仁宇布の牧場への道を歩き草の匂いを嗅ぐ事が出来る。後者を読むと、ハワイでビーチに寝転んで日焼けオイルの香りを嗅ぎ、プールサイドでピナコラーダをすする。私自身がいつの間にか札幌やハワイにこの身を置けてしまう。
残念ながら、この作品には、この「物語の中に私自身が入り込める」ような感覚は最後まで訪れなかった。壁の内側にも、初恋の君と手をつないで川を渡る事も私には出来なかった。
村上の想像力・創造力が枯れた・・・ということか。
村上の老いを感じる作品。
そして、昔のみずみずしい感性に触れてみたくなり、過去の作品を改めて読み直したくなる作品でもある。
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