◆2019年10月21日(月) 釧路は晴れ
1973年のピンボール (amazonへリンクします)
村上春樹 著 講談社文庫 円
今日は釧路へ日帰り出張。お供は今回も村上春樹。
先週、この本の「全編」とでもいうべき 風の歌を聞け・・・を読んでいたので、続きが読みたくなりこの本を供にした。
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「僕」は「双子の姉妹」と出会い、そして別かれる。
「鼠」は「女」と出会い、そして別れる。
「僕」は「3フリップのスペースシップ」というピンボールマシンと再会し、そして別れる。
「鼠」は「ジェイ」に別れを告げ、町を出る。
3年前「風の音を聞け」で出会った「僕」と「鼠」は700km離れた場所で、それぞれに出会いと別れがあった。
しかし、「僕」と「鼠」はジェイの店とピンボールマシンを通じて繋がっていた。この作品の中では二人の交差・接点はない。
でも二人は間違いなく繋がっている。
方や卒業、此方リタイアという違いはあるけれど、ともに学生を終え社会にでている。
二人ともカチっとした正社員ではなく、今でいうところのフリーターに限りなく近い。
そして、そのせいか、どこか大人になり切れない「青臭さ」を漂わせている。
出会いと別れと、友人との交差.
それがこの小説のモチーフだ。
40年前の小説で、今、若い世代、中高生/大学生には「ピンボールマシン」などと言っても「?」ピンと来ないだろう。
ゲームセンターと言っても、今のようなクレーンゲーム中心の世代には、ひょっとしたら想像もつかない遊具・プレイマシンかもしれない。
アパートの「共有電話」もイメージしにくいのではないだろうか? そもそも「固定電話」を「共有」する間隔すらピンと来ないだろう。
私は現役でピンボールマシンにハマった。友人たちと小さなゲームセンターで、小遣いが尽きるまでプレイしていた。
時折、神がかったようなプレイができて、リプレイをゲットした時や、自分のハイスコアを更新出来たときなどは、得も言われぬ達成感を感じたものだ。
だから「僕」や「鼠」がピンボールにハマった気持ちはリアルタイムで共感できるのだけれど・・・
今の若い人たちにも、この本が受け入れられるのはなぜなのだろう?
古臭さを感じさせず、今もどこか、みずみずしさを漂わせてくれるのはどうしてなのだろう?
何度読み返しても引き付けられる魅力がある。
それはやっぱり「青春の葛藤」がここに描かれているからなのだと思う。
どこか孤独癖とも思える主人公の内に向かい、自己を見つめる目、どこにも持っていき場の無い孤独や、やるせなさ・・・
そういったところが随所にちりばめられているあたりが共感につながっているのかなとも思う。
そして、さらに続編の「羊をめぐる冒険」も次の出張には従えてしまうのだろう(笑


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