◆2020年 5月10日 江別は晴れ
一読後、なぜか自粛警察・・・という言葉を思い出した。
営業自粛、移動自粛が打ち出されると、
・営業する店に休業を強要する貼り紙が貼られる
・自県外ナンバーの車が嫌がらせを受ける
などの「指摘に自粛を強いて攻撃する」自粛警察と呼ばれる行為が発生する。
標的となりネット上で攻撃されてしまうと、標的となってしまった側のダメージは非常に大きなものとなってしまう。
ここには、「今は自粛をすべき(時)で、それを守らず営業(移動)するなどとんでもない」という正義が発動する。
営業しなければ倒産してしまうとか、従業員に給与を払えないとか、そうした「事情」は、この「正義」の前には抵抗できない。
他県から転居移動してきた車であった場合は自県民であっても、その「事情」は顧みられず「正義」のもとに攻撃にあってしまう。
正しくないものを排することで、自らの正義感を満たす。
デジタルタトゥー・・・
ネット上に晒されてしまった情報はあっという間に、それこそ瞬時、瞬く間に信じられないほどのDLがなされてしまい、事実上回収不能となる。
悪意を持って晒されてしまうと、標的となってしまった側は取り返しのつかない様なダメージを負う。
テラスハウスで自殺してしまった木村さんのケースなどは、まさにこれだろう。
デジタルタトゥーには「匿名性」も伴うと思われる。「匿名性」が伴うと、つまり誰だか特定されない環境に置かれると、日本人のモラリティは陰湿で攻撃性を増すとも言われている。
同質性の強要とも、言い換えることが出来る。「自分が自粛しているから、お前も自粛しなくてはいけない」という論理だ。
(これは故・山岸俊男北大教授の「相補均衡論」で説明できるのだけれど、流浪の月の所感からは少し外れるので別掲)
デジタルタトゥーの源はこの「同質性の強要」にあり、逆に言うと「同質の強要」から「はみ出るもの」に、つまり、「異質」なものを排除することで安心を得ようとする心理が表出したものともいえる。
なので、「同質の安心感」に連帯されてしまった人々からスポイルされ、それが酷くなると攻撃のターゲットとなってしまう・・・
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そして、この本が魅力的だったのは、構成の妙である。
プロローグとエピローグが同一時制、同一場面の連続で、私たち読者は思わずページを繰りなおすことになる。
私を含めて、相当数の読者が既視感に「あれ?」っとなり、最初のページを読み直すことになる。
愛し愛されという男女ではないのだけれど、男の視点と女の視点がそれぞれ交互に描かれる。
これは村上春樹の1Q84でも用いられた構図で、おそらく作者は村上にインスパイアされているものと思われる。
アマゾンのブックレビューで「村上春樹が好きな人は面白く感じるのではないか」という鋭いものがあった。
私がこの本を非常に面白く読めたのも、作者が村上によってインスパイアされており、どこか村上的世界と同じ構図や香りが漂っているのかもしれない。
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新しい男と女の新しい「共棲」が描かれている、この二人がこれからどうなってゆくか。
デジタルタトゥーを刻印されてしまった人間には近所の人々にそれがばれてしまうと、転居を余儀なくされてしまう。
思わず、この二人の姿を応援してしまう読者がきっとものすごく多いから、この本が本屋大賞をえられたのだろう・
私もこの二人を心から応援してしまいたい一人でもあるのだが・・・・
良書だと思う。
この作者の作品を読んだのは初めてだが、ほかの作人も是非読んでみたいと思う。
2020年5月25日(月)追記
